あるブログでこんな話を知った。
生き物を数える時の単位で牛は一頭、鳥は一羽、魚は一尾、人間は一名と数える。この単位は何かと言うと、命を終えて最後に残る部分だそうだ。牛の面影をとどめているのは頭蓋骨であり、鳥は羽根が生えた翼である。魚はそれとわかる尾になる。
さて人間はというと、すでに形はなく、名を上げるとか名を成すとか、その人の名声なり、功績、実績のことであるようだ。
以前「人生の終(しま)い方」というドキュメンタリー番組を見て、それが未だに印象に残っている。故桂歌丸師匠をナビゲーターに、4人のそれぞれの人生の終い方をカメラは追っていった。
マンガ家の水木しげるさんはカメラが趣味で、家族の日常風景を頻繁に撮っていた。ただしそのスナップショットには必ず笑顔の自分を片隅に入れていた。おかげで残された家族に、かけがえのない写真を数多く残した。
仕事一筋の無口で頑固な父親は、医者から短い余命を知らされた。考えあぐねいた末家族一人ひとりに、最初で最後の愛にあふれる手紙を自ら手渡し永遠に旅立った。
小さな居酒屋を営んでいた老母は知的障がいの一人娘が気がかりだった。先のことを考え、多くの常連さんとの心の糸を娘に結んでいった。
35才で余命を告げられた若き父親は、二人の幼い子どもを目の前に途方に暮れた。伝えたい事が多すぎて悩んだ挙句、最後まで病に立ち向かう姿を子どもたちに残した。
大阪で父と呼ぶ介護スクールの校長がガンでなくなった。校長とは仕事の関係で知り合い、その懐の深さに魅了され、以来可愛がってもらった。実の父はその数年前に他界していたので、その分校長に甘え、酒を酌み交わしながらさまざまな相談にのってもらった。
校長と言いながら数人で運営している小さなスクールである。冗談好きで明るく、面倒見がいい校長は、いつも多くの生徒に慕われていた。博学で洞察力があって、心の中を見透かされしばしば驚くこともあった。酒に酔うと古い演歌を歌い出し、女性に目がなく、秘密を守れないおしゃべりで、とにかく人間臭い人だった。
昔は大企業の副社長を勤めたほどの人物だったらしいが、その浪花節的な人の良さを利用する人が後を絶たなかった。裏切られ傷つき、それでも人を恨まなかった。ボヤきつつも、また人を信じて利用されるのだ。聡明で肝が座っていて、いかなる苦境も乗り越えてきた人が、なぜかいつも損ばかりしている。それがずっと不思議でならなかった。
今思うと、目の前の人に真剣に向き合い、相手の奥にあるものを懸命に見ようとしていたような気がする。ことあるごとに大学時代の応援団に所属していた頃のことを誇らしげに語っていたのと何か関係があるのだろう。今になってみれば、その事がおぼろげながら分かってきたように思う。
知人が書いた「ろうそく先生」という寓話を読んで感銘を受けたことがある。周りを明るく照らしながら自分の身は次第にろうそくのように溶けてなくなっていくのだ。校長はまさにそんな人だった。
確かに私たちは、テレビや本などの向こう側にいる、華やかでドラマチックな人たちに影響を受けることがある。しかし、本当に自分の血肉として心のなかに生き続けるのは、身近で現実に触れ合ってきた人たちの記憶ではなかろうか。それが幾重にも降り積もり、腐葉土のように私を育んできたのだ。
そうして巡り合った人の思い出が、心のなかの深いところで、一人ひとり名を残してきたのである。